フラメンコの歴史はとても古く、
戦争などで文献がほとんど残っていませんが、
学者などの研究やわずかに残っている資料によると.
 
起源とされているのは15世紀の中頃.
日本では室町幕府の全盛期の頃です.
 
フラメンコはインド北部から追放された民族の文化や音楽が起源の一つとされています.
その民族はヒターノ・ジプシーやロマ民族とも呼ばれています.
 
ロマ民族の旗
 
ロマ民族は独自の文化や習慣、言語・ロマ語を持ち.
インドから追放された後は、定住することがなく
馬車で旅をしながら生活をしていました.
 
 
多くはルーマニアや温暖な気候のイベリア半島の南部、
現在でいうスペイン南部のアンダルシア地方に定住するようになりました.
 
ロマ・ジプシー達は昔から数々の迫害や弾圧を
受け続けて、第二次世界大戦でもユダヤ人と
同じように迫害を受けました.

 

その数々の迫害や弾圧で受けた、
嘆きや悲しみの苦痛、
時には喜びなど、
人生そのものを歌で表現したものです.
 
フラメンコはそのジプシー達の持っていた音楽と、
現在のスペインがあるイベリア半島にもともとあった
音楽やスペインの民族舞踊、
また、当時はイスラム圏であったアンダルシア地方は
イスラム人やユダヤ人のアラブの音楽の影響も大きく受けました.
 
フラメンコはロマ民族にとって、嘆きや悲しみの苦痛、時には喜びなど、人生を生きて抜くために必要な活力だったのです.
フラメンコは踊りがメインだと思われがちですが、
実は一番のメインが歌で、
その伴奏楽器として用いられたのがギターです.
 
歌い手が歌う歌詞の内容や、
ギターのメロディー、
またパルマ(手拍子)のリズムに合わせて、
その後、踊り手が踊りはじめて、現在のフラメンコの形ができたのが19世紀半ばとされています.
 
その、19世紀半ばに急速にできたものが
カフェ・カンタンテ、現在のタブラオ.
 
当時のカフェ・カンタンテは定期的にフラメンコが
上演され、飲食をしながら、フラメンコが
鑑賞できる当時のキャバレーです.
現在でいう飲食をしながら、
フラメンコが観れるライブハウスのような場所です.
 
(当時のカフェ・カンタンテの様子)
 
2010年にはUNESCO(ユネスコ)によって、
スペインの無形文化遺産に登録されました.
 
現在では、全世界中にフラメンコのアフィシオナード
(フラメンコ愛好家)が多く存在し、
フラメンコ人口も多くいます.
日本はスペインに次ぐフラメンコ人口が
一番多い国とされています.